文化人類学と私たちの服づくり

石徹白洋品店の特徴の一つ、それは、服作りは「文化人類学」的思考からスタートすることだと思っています。石徹白洋品店を始めた私は、学生時代、文化人類学のゼミでカンボジアをフィールドとして毎年通い、ヒアリング調査をしていました。そこで、私が興味を持ったのは、「聞き書き」という手法で、一人の人の人生のお話を聞かせてもらう ということでした。

あるおばあちゃんとの出会い

国際協力に関心のあった私は、ポルポト時代に戦火を逃れて村で暮らしていたある小さなおばあちゃんのライフヒストリーを聞き取りました。そのおばあちゃんは、カンボジアのクメール伝統織物研究所というところで、機織りの名人として若い女性らに絹織物を教えている人でした。

小さななんの変哲も無いおばあちゃんに見えましたが、「クメールの伝統絹織物は自分自身と切り離して考えられない」と力を込めて話してくれて、私はなんてかっこいい女性なんだ!と感銘を受けました。(その後、彼女は国宝級の布を作れる達人だと知りました)私もそんな風に、自分自身誇れるものってあるかしら、と思い、生まれ育った岐阜に目線を移すことになったのですが、そのきっかけを与えてくれたのがこのおばあちゃんだったのです。

石徹白での「聞き書き」

石徹白に移住してからも、私の「聞き書き」の活動は続いていきました。当時、石徹白公民館の館長さんをされていたFさんという方が、「石徹白の昔の暮らしについて話を聞いてまとめておくといい」と話されていたので、それを私も是非参加させてもらいたい、と申し出、公民館活動の一環として聞き書きの会が始まりました。

私は、いろんなおじいさん、おばあさんを紹介していただいて、話を聞き始めたのですが、そこで出会った民話を絵本にしたり、その話の端々に登場する「たつけ」を商品化したり、聞き書きを通じて学んだことを現代の暮らしに取り入れたいと考え、今の石徹白洋品店の製品があります。

どの方のお話の内容も、それぞれに素晴らしく、学ぶことが多くて、それだけで私はとても影響を受け、感激し、満足するのですが、私一人の中だけで完結するだけでは、話を聞かせていただいたのに申し訳ない・・・というか勿体無い。と思う気持ちが大きくなっていきました。
Fさんの次に館長さんになられたHさんには、「せっかく聞いたんだったら、他の人のためになるようにまとめてくれ」とも言われ、確かに、聞かせていただいたからには、何か次につなげていきたい、という思いも大きくなっていったのです。文章で「聞き書き集」という形でまとめて発行することは当然したい。それに加えて、今の暮らしに合うような形で、かつての知恵や技術を、具体的なものとして蘇らせていくこと。それに私は心からワクワクして取り組んでいます。

探求の末の服型

そこから生まれている服が、当店のメインの商品である「たつけ」「はかま」「かるさん」「越前シャツ」「さっくり」です。もう作る人がいなくなって数十年経って、でも、たまたままだ覚えているおばあちゃんたちがいたから、私はその作り方を引き継ぐことができました。

今思うと、ギリギリのタイミングだったと思います。とはいえ、そのままの形では現代の暮らしにフィットしない部分が多いので、デザインし直したり、デザインを加えたりすることもあります。そんな風に作ってきた服を、たくさんの方にご試着いただき、その素晴らしい知恵を体験していただきたいといつも思っています。

私の文化人類学への探求は、これからも続きます。そして、それをベースとしたものづくりを、これからもより深めていきたいと思っています。